電子音による「生音」が楽器を凌駕し、3Dのプロジェクションマッピングが舞台に無限の可能性を与え、「初音ミク」などのボーカル生成ソフトウェアによって人間が演じることなく感動を呼び起こす――デジタル時代の新たなリアリティーを与えるオペラ「THE END」の初演が、先駆的なメディアアートとパフォーマンスを送り続け世界の拠点ともなっている山口市の山口情報芸術センター(YCAM)で開催された。
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小京都として知られている小じんまりとした街である山口。それでも短期間でのアナウンスでありながら、チケットは瞬時に完売した。この歴史的瞬間を目撃するために全国からクリエイティブやアート関係者が集まり、ほかのミクパフォーマンスにはない静かな空気感が漂っていた。
●人が歌わないオペラ/オーケストラが演奏しないオペラ
「THE END」は、音楽家の渋谷慶一郎氏、演出家で劇作家の岡田利規氏、映像作家のYKBX氏による、人が演じない新たな演劇制作のプロジェクトから生まれた作品である。当初、渋谷氏がピアノや電子音楽を演奏する独り舞台的なものを想定していたが、ボーカル生成ソフトウェアとしての初音ミクの表現力の高さに着目。プログラムでありながら人格を与えられた「初音ミク」という存在を主演に据えた。人が演じない、そしてすべてが電子音響によるオペラであり、芸術史に新たな1ページを記す作品だ。
●初音ミクに死の恐怖を突きつける
物語は、デジタルな存在である初音ミクが劣化したコピーと出会うところから始まる。無機質な部屋の中で動物のようなキャラクターと住む孤独なミクは、劣化コピーから死の存在を告げられ自問する。本来死ぬことがないとされてきた電子的存在であるミクの思考の戸惑いと意識の芽生えを通じて仮託するもの。それは、現代という社会そのものや東日本大震災の経験、創り手の私的経験において突きつけられる死の存在、いつかは迎える終わりの存在……文明が行き着くなか日常で喪失する「終わり」のリアリティーへの問いかけなのだと見ることができた。
死とは何か? コピーやキャラクター、そして自問を通じ、混乱を深める中、デジタルであるからこそ不死であるはずの初音ミクに、様々な死、終わりの可能性が提示されていく。最後、どこまでも続く壮大な終わらないアリア(独唱)で結末を迎える「THE END」。ミクは死んだのか、ミクは別の存在として終わってしまったのか――。その結末を人々のそれぞれの頭の中に残しながら、重厚な浮遊感を残して終わる。力づくで感動を肉体と脳内に押し込めて来るような作品であった。
●メディアアート/演劇/建築のスーパースターが実現のために集結
これらのプロフェッショナルな仕事についても言及しておきたい。会場のYCAMは、山口市の文化行政の一環で運営されており、「THE END」は世界トップレベルのアーティストを迎えてアート作品を作る滞在制作事業として誕生した。
プロデュースを担当したのはA4A。メディアアートを広告などの演出に生かすスペシャリストを束ねた企業だ。YCAM InterLabとともに造り上げた今回のステージ――「オペラ」としての感動を催すだけの変幻自在の3D映像空間――には、そのスペシャリストたちの技が現れている。
ステージ上では、美しい構造物としてデザインされた3面(正面と左右)のスクリーンに、“圧倒的な密度”を持った映像を投影し、様々なシーンに幻想的な新たなリアリティーをもたらすかような奥行きを与えていた。また、前面に半透明のスクリーンを配し、そこに「演者」たちを投影することで、複数のレイヤーによる立体の奥行きを与えていた。さらに、床への投影でより実在感を高めていく。合計5面+渋谷氏の演奏ブースへの投影によって、あたかも存在するかのような異空間をステージに実現させた。
映像やキャラクターデザインといった視覚面における演出を担当したYKBX氏は、偶然ながら山口出身者として初のYCAMへの登場となった。舞台美術を担当したのは重松象平氏。世界的な建築家であるレム・コールハースが自身の建築事務所OMAのニューヨーク支社長に抜てきした人物で、北京の中国中央電視台新社屋などの設計で知られている。
重松氏は今回、映像という限りない表現が出来る空間の中で“演じる”ことを可能にする密室作りと変幻自在な場の展開という、立体映像表現だからこそできる可能性を追求したとのこと。初音ミクであることやこのオペラの特性を思うと、ともすればサイバーな舞台作りに表現が傾きそうだが、コンクリートと蛍光灯が配された奥行きが読めないミクが住む素材感のある密室はまさに、演じるための場の有限性とデジタル映像が持つ無限性が融合した、デジタル表現における建築からの舞台づくりと捉えられた。
渋谷氏が演奏するともに、アクセントのある立体投影を兼ねる、スクエアなブースのデザインは、投影されなくとも清潔感のある美しさを持っており、巨大な宝石のアクセサリのようなアクセントを醸し出していた。
音響を創り出したのはevala氏。最後、初音ミクは無限の空間を跳びまわって行くのだが、どこまでも続くかのような音の伸び、一方でオペラとして耳に残る美しい音の響きは、「電子音楽を生音として聞かせる挑戦」とevala氏が語るように、機械的な音の再現を超越した体験を与えてくれた。
ボーカルや発話の生成を担当したのはピノキオP氏。本人にとってはこのオペラ、新鮮なチャレンジだったという。なぜならば、今までは自らが初音ミクに歌わせたい曲を作っていたのに対し、THE ENDではいかに初音ミクが演出に沿って話し、歌うようにするかの挑戦であったからとのこと。自らの表現の道具としてではなく、演出としての表現力を高めるために「初音ミク」に向き合うという体験であったと振り返った。
さらに、ルイ・ヴィトンがこのような革新的な取り組みを高く評価、初音ミクが纏う衣装のデザインに協力、2013年の春夏コレクションをもとに、オリジナルの衣装を制作した。
●初音ミクがいなければ出来なかった新時代オペラ
「THE END」をつくる契機となり主導的役割を果たした渋谷氏、物語を書き演出にあたった岡田氏、そして舞台美術を手掛けた重松氏、この3人は偶然にもともに1973年生まれ。デジタルとともに世界や表現が再構成されてきた時代を背負ってきた世代だからこそ共有できる意識、そしてクリエイティビティがチームとして開花して生まれた表現の新境地ということが出来る。
初音ミクはボーカル生成ソフトウェアの中でもひとつ抜き出た表現力を持っていると渋谷氏は見る。初音ミクという存在があって初めて、音楽という質の意味でも、人が歌唱しないオペラが可能になった。対役として動物のようなキャラクターを置いたのは、まだ男性のボーカル生成ソフトウェアで満足のいく表現力を得るものが無かったが故の演出上の策――人ではない存在として語らせることでリアリティーを担保させる――であったという。
evala氏によると、YCAM以外での上演、例えば旧式のオペラホールでも上演できるよう、圧倒的な音響でありながら5.1chの二階層からなる10.1chでまとめ上げたとのこと。立体でのビジュアル表現を実現する装置とともに、メディアアート時代の新たな上演フォーマットとして、再演のみならず国内や世界での展開を視野に入れ始めている。
今回の初演には、筆者のような文化イベントを作る立場や有力ホールのプロデュース担当の方々が東京からも集まり、早くもその可能性が公演後熱く語られていた。ミクの魅力は、ポピュラーカルチャーを超え、音楽史に新たな革新をもたらしつつある。その歴史的な瞬間を、各地での再演を通じて、多くの人と共有できることを期待したい。
※画像の転載はご遠慮ください。
●著者紹介
岡田智博は、新しいクリエイティブを社会やビジネス、地域に生かすためのプロデューサーであり、メディアアートとデザインのキュレーター。一方で、ネットやクリエイティブから生まれる世界中の新たな動きを現場から硬軟あわせて紹介する記事を様々なメディアや政府等のリポートにあげている。自身が代表を務めるクリエイティブクラスターほか全国各地の機関やNPOの理事等を兼務、様々な人が新しく始められる「こと」づくりに跳び回っている。
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小京都として知られている小じんまりとした街である山口。それでも短期間でのアナウンスでありながら、チケットは瞬時に完売した。この歴史的瞬間を目撃するために全国からクリエイティブやアート関係者が集まり、ほかのミクパフォーマンスにはない静かな空気感が漂っていた。
●人が歌わないオペラ/オーケストラが演奏しないオペラ
「THE END」は、音楽家の渋谷慶一郎氏、演出家で劇作家の岡田利規氏、映像作家のYKBX氏による、人が演じない新たな演劇制作のプロジェクトから生まれた作品である。当初、渋谷氏がピアノや電子音楽を演奏する独り舞台的なものを想定していたが、ボーカル生成ソフトウェアとしての初音ミクの表現力の高さに着目。プログラムでありながら人格を与えられた「初音ミク」という存在を主演に据えた。人が演じない、そしてすべてが電子音響によるオペラであり、芸術史に新たな1ページを記す作品だ。
●初音ミクに死の恐怖を突きつける
物語は、デジタルな存在である初音ミクが劣化したコピーと出会うところから始まる。無機質な部屋の中で動物のようなキャラクターと住む孤独なミクは、劣化コピーから死の存在を告げられ自問する。本来死ぬことがないとされてきた電子的存在であるミクの思考の戸惑いと意識の芽生えを通じて仮託するもの。それは、現代という社会そのものや東日本大震災の経験、創り手の私的経験において突きつけられる死の存在、いつかは迎える終わりの存在……文明が行き着くなか日常で喪失する「終わり」のリアリティーへの問いかけなのだと見ることができた。
死とは何か? コピーやキャラクター、そして自問を通じ、混乱を深める中、デジタルであるからこそ不死であるはずの初音ミクに、様々な死、終わりの可能性が提示されていく。最後、どこまでも続く壮大な終わらないアリア(独唱)で結末を迎える「THE END」。ミクは死んだのか、ミクは別の存在として終わってしまったのか――。その結末を人々のそれぞれの頭の中に残しながら、重厚な浮遊感を残して終わる。力づくで感動を肉体と脳内に押し込めて来るような作品であった。
●メディアアート/演劇/建築のスーパースターが実現のために集結
これらのプロフェッショナルな仕事についても言及しておきたい。会場のYCAMは、山口市の文化行政の一環で運営されており、「THE END」は世界トップレベルのアーティストを迎えてアート作品を作る滞在制作事業として誕生した。
プロデュースを担当したのはA4A。メディアアートを広告などの演出に生かすスペシャリストを束ねた企業だ。YCAM InterLabとともに造り上げた今回のステージ――「オペラ」としての感動を催すだけの変幻自在の3D映像空間――には、そのスペシャリストたちの技が現れている。
ステージ上では、美しい構造物としてデザインされた3面(正面と左右)のスクリーンに、“圧倒的な密度”を持った映像を投影し、様々なシーンに幻想的な新たなリアリティーをもたらすかような奥行きを与えていた。また、前面に半透明のスクリーンを配し、そこに「演者」たちを投影することで、複数のレイヤーによる立体の奥行きを与えていた。さらに、床への投影でより実在感を高めていく。合計5面+渋谷氏の演奏ブースへの投影によって、あたかも存在するかのような異空間をステージに実現させた。
映像やキャラクターデザインといった視覚面における演出を担当したYKBX氏は、偶然ながら山口出身者として初のYCAMへの登場となった。舞台美術を担当したのは重松象平氏。世界的な建築家であるレム・コールハースが自身の建築事務所OMAのニューヨーク支社長に抜てきした人物で、北京の中国中央電視台新社屋などの設計で知られている。
重松氏は今回、映像という限りない表現が出来る空間の中で“演じる”ことを可能にする密室作りと変幻自在な場の展開という、立体映像表現だからこそできる可能性を追求したとのこと。初音ミクであることやこのオペラの特性を思うと、ともすればサイバーな舞台作りに表現が傾きそうだが、コンクリートと蛍光灯が配された奥行きが読めないミクが住む素材感のある密室はまさに、演じるための場の有限性とデジタル映像が持つ無限性が融合した、デジタル表現における建築からの舞台づくりと捉えられた。
渋谷氏が演奏するともに、アクセントのある立体投影を兼ねる、スクエアなブースのデザインは、投影されなくとも清潔感のある美しさを持っており、巨大な宝石のアクセサリのようなアクセントを醸し出していた。
音響を創り出したのはevala氏。最後、初音ミクは無限の空間を跳びまわって行くのだが、どこまでも続くかのような音の伸び、一方でオペラとして耳に残る美しい音の響きは、「電子音楽を生音として聞かせる挑戦」とevala氏が語るように、機械的な音の再現を超越した体験を与えてくれた。
ボーカルや発話の生成を担当したのはピノキオP氏。本人にとってはこのオペラ、新鮮なチャレンジだったという。なぜならば、今までは自らが初音ミクに歌わせたい曲を作っていたのに対し、THE ENDではいかに初音ミクが演出に沿って話し、歌うようにするかの挑戦であったからとのこと。自らの表現の道具としてではなく、演出としての表現力を高めるために「初音ミク」に向き合うという体験であったと振り返った。
さらに、ルイ・ヴィトンがこのような革新的な取り組みを高く評価、初音ミクが纏う衣装のデザインに協力、2013年の春夏コレクションをもとに、オリジナルの衣装を制作した。
●初音ミクがいなければ出来なかった新時代オペラ
「THE END」をつくる契機となり主導的役割を果たした渋谷氏、物語を書き演出にあたった岡田氏、そして舞台美術を手掛けた重松氏、この3人は偶然にもともに1973年生まれ。デジタルとともに世界や表現が再構成されてきた時代を背負ってきた世代だからこそ共有できる意識、そしてクリエイティビティがチームとして開花して生まれた表現の新境地ということが出来る。
初音ミクはボーカル生成ソフトウェアの中でもひとつ抜き出た表現力を持っていると渋谷氏は見る。初音ミクという存在があって初めて、音楽という質の意味でも、人が歌唱しないオペラが可能になった。対役として動物のようなキャラクターを置いたのは、まだ男性のボーカル生成ソフトウェアで満足のいく表現力を得るものが無かったが故の演出上の策――人ではない存在として語らせることでリアリティーを担保させる――であったという。
evala氏によると、YCAM以外での上演、例えば旧式のオペラホールでも上演できるよう、圧倒的な音響でありながら5.1chの二階層からなる10.1chでまとめ上げたとのこと。立体でのビジュアル表現を実現する装置とともに、メディアアート時代の新たな上演フォーマットとして、再演のみならず国内や世界での展開を視野に入れ始めている。
今回の初演には、筆者のような文化イベントを作る立場や有力ホールのプロデュース担当の方々が東京からも集まり、早くもその可能性が公演後熱く語られていた。ミクの魅力は、ポピュラーカルチャーを超え、音楽史に新たな革新をもたらしつつある。その歴史的な瞬間を、各地での再演を通じて、多くの人と共有できることを期待したい。
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●著者紹介
岡田智博は、新しいクリエイティブを社会やビジネス、地域に生かすためのプロデューサーであり、メディアアートとデザインのキュレーター。一方で、ネットやクリエイティブから生まれる世界中の新たな動きを現場から硬軟あわせて紹介する記事を様々なメディアや政府等のリポートにあげている。自身が代表を務めるクリエイティブクラスターほか全国各地の機関やNPOの理事等を兼務、様々な人が新しく始められる「こと」づくりに跳び回っている。
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