動画共有サービス「YouTube」で日本の公式ミュージックビデオ(MV)の多くが海外で視聴できない事情がネットで注目を集めている。国内音楽レーベルが販売戦略のために視聴制限を設けているという見方もあるが、背景にはYouTube側が自社の利益のために日本のMVを“お断り”している問題がある。以下、詳しく見ていく。
【YouTube視聴問題に関するツイートまとめ】
●英語字幕を付けたMVなのに海外で見られない
注目されたきっかけは、ロックバンド・くるりの岸田繁さんのツイートだった。YouTubeのくるり公式チャンネルにアップしていた楽曲「琥珀色の街、上海蟹の朝」のMVを、2月13日にTwitterで岸田さんが告知したところ、アメリカ在住者から「ビクターエンタテインメントから国の制限がかかっている(ので見られない)」と報告が入った。ほかにもオーストラリアなど海外各地から視聴できないと声が寄せられた。
海外の人にも見てほしいということで、MVには歌詞の英語訳を字幕で付けていた。「海外でロック掛かってて観られへんてどういう失態ですか。スタッフはチェックもしないのか…。じゃあ作りましょうとか言うなよ…」「奴らはどんな気持ちでこちらが作品作ってるかとか、人が作ってくれたMVにどれだけ愛や価値が籠っているかとか、どーでもええんでしょうな」。岸田さんは悔しさをにじませた。
一見するとビクターエンタテインメント(以下、ビクター)がMVに視聴制限をかけているだけの話に見えるが、実は多くの国内レーベルが同じ問題を抱えていた。同じビクター所属の音楽家・ゲントウキさんはTwitterで、「これ、実はけっこう多くの人が知らないです。日本のメジャー、大手インディー(ほとんどです)のMVが海外から見ることができないのです」と指摘。経緯はTogetterにまとめられ注目を浴びることとなった。
ゲントウキさんによるとこの原因は、YouTubeを運営するGoogleと音楽レーベルとのコピーライトの問題にあるという。一体どういうことなのか。
●「YouTube Red」の登場が招いた視聴制限
ネットの著作権問題に詳しい福井健策弁護士に取材したところ、これはおそらく2015年にGoogleがスタートさせたYouTubeの有料会員制度「YouTube Red」の規約の問題だという。
YouTube Redとは月9.99ドルを払って会員になれば、YouTubeの動画が広告無しで見放題になるサービスだ。ほかにも動画を端末にダウンロードしてオフラインで視聴できたり、バックグラウンド再生できたりとさまざまなサービスを受けられる。利用できる地域は今のところ、米国、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国の5カ国。
しかしこの際にGoogleは、人気YouTuberや音楽レーベルなど、動画の広告費やチャンネル登録費から収益を受け取れる「YouTubeパートナー」に対して酷な条件を突きつけた。
2015年の米TechCrunchの記事によると、「YouTube Red」の規約に署名した場合YouTubeパートナーに支払われる収益の割合は55%。これは当時の定額制ストリーミング配信サービス「Spotify」の70%、「Apple Music」の71.5%に比べてかなり低い数字になる。MVをオフライン視聴したりバックグラウンド再生したりと、YouTube Redが既存のダウンロード・ストリーミングサービスと同じようなサービス内容であることを考慮すると、簡単にはサインできない分配率であった。
また2015年度の音楽市場において音楽ビデオの売り上げは719億円と、有料音楽配信の471億円の1.5倍以上で、大きな収入源の1つとなっている。YouTube Redで動画を端末にダウンロードできるのも、国内レーベルが契約に難色を示す要因の一つとなっているだろう。
Googleは契約しないYouTubeパートナーに対し、彼らの動画をYouTube Redの利用地域では視聴できないようにしていると、海外各メディアは報じている。
「YouTube Redの条件は確かに一方的ではあるので、スポーツ専門チャンネル『ESPN』のように契約しなかった権利者は米国内にもいて、日本のレーベルたちも乗れないと判断したようです。するとGoogleは自動的に全ての動画をYouTube Redの利用地域で見られなくするので、日本のMVは米国などでは視聴できない状態が続いている、という状況ですね」(福井弁護士)。
実際にくるりのMVは海外のどこで視聴できるのか、15カ国17地域の人に視聴してもらったところ、米国(ニューヨーク、ロサンゼルス、ハワイ)、オーストラリア、韓国では視聴不可。フランス、ドイツ、イタリア、ノルウェー、台湾、マレーシア、フィリピン、タイ、モロッコ、ドミニカ共和国、ペルー、ボリビア、セネガルでは可能と、YouTube Redの利用地域以外でのみ視聴できる結果になった。
ゲントウキさんはTwitterで、「ビクター、日本コロムビア、SME、YAMAHA、UKプロジェクト、AKS、Up-Front/zetima、ポニーキャニオン、P-Vine、テイチク、スターダスト、Dreamusic、残響レコード、、、etc これらの会社のMVはアメリカから見ることができません」とつぶやいている。おそらくこれらの国内音楽レーベルはYouTube Redの規約を受け入れなかったことで、MVの視聴がYouTube Red利用地域で制限されてしまっているのだろう。
YouTube Redの利用地域が日本、ヨーロッパと世界に広がれば広がるほど、これら日本のMVが視聴できない地域も広がる可能性が高い。YouTubeの利用者数は全インターネット人口の約3分の1を占める10億人以上、1日あたりの視聴回数は数十億回以上(YouTube公式サイトより)――その宣伝効果は圧倒的だ。Googleの対応は「うちの条件が飲めないならその宣伝効果はあきらめるしかない」と言っているに等しい。
なおビクター、日本コロムビア、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の大手3社に、「YouTubeで公開している貴社の所属アーティストのMVは、海外から視聴できないか」「すべて視聴できない場合は、どのような理由からか」といった質問を送ったところ、日本コロムビアとSMEは「回答は控えさせていただきます」と返答。ビクターは3週間以上対応を検討中という状況になっている。
●YouTube Redに契約したエイベックスとPPAPの成功
一方でエイベックスに取材したところ、同社ではYouTube Redと契約し、エイベックス公式YouTubeチャンネルのMVは基本的に海外でも視聴制限がかからないようにしていると回答した。アーティスト個別の公式チャンネルでも同様の契約を結んでいるという。
ピコ太郎に扮(ふん)する芸人・古坂大魔王さんはエイベックスに所属している。YouTubeを舞台にしたピコ太郎「PPAP」の世界的大ヒットも、所属レーベルがYouTube Redの条件に契約しているか否かが命運を分けていたといっても過言ではないだろう。
ただしエイベックスの公式MVであっても、YouTubeで海外に視聴制限がかかるケースがある。理由についてエイベックスの担当者は次のように話す。
「エイベックスでは自社のMVや楽曲を、YouTubeに限らず『dTV』『AWA』などネットサービスへアップする際、基本的には海外でも視聴できるようにしています。しかしそのアップ基準は楽曲ごとに異なっています。
例えばエイベックスデジタルの『dTV』においてMVを配信する場合。曲に海外の楽曲がサンプリングとして使われていると、著作隣接権、配信権といった法務の事情から、国内配信に限定するケースがあります。そのときは動画にジオタグ(緯度と経度の数値を含めた情報)を追加させることで、日本でしか見られないようにしたりしています。
このような法務の事情。さらには浜崎あゆみさんのMVは国内のみとなっているようにアーティストのプロデュース面から、楽曲ごとにどの範囲で視聴できるようにするか対応が異なるといったところです。」
YouTube Redの契約の問題だけでなく、こうした法務の事情やプロデュース戦略で視聴制限がかかっているケースは、他の音楽レーベルにもあるだろう。
●Googleの規約に乗らない判断は吉か凶か
YouTube Redの規約に同意しないという日本のレーベルの選択は、日本の音楽市場の成長を妨げる悪手なのか、その先に待ち受けるかもしれない障害をにらんだ賢明な判断なのか。簡単に結論付けることはできない。
ネガティブな見方をすれば、既存のパッケージメディア(CDやレコードなど)の販売にこだわり、デジタル音楽(ダウンロードやストリーミングなど)への移行に慎重となっている、日本市場の停滞感を示した一例とも捉えられる。
音楽ジャーナリスト・柴那典さんは新刊「ヒットの崩壊」(講談社現代新書)で、消費者がパッケージメディアで音楽を“所有”する聴き方から、デジタル配信で音楽に“アクセス”する聴き方へ変化しているのに対し、「日本の音楽業界は、はっきりとその潮流に乗り遅れている」と、書いている。
国際レコード連盟(IFPI)によると、2015年に世界の音楽市場全体の収益は150億ドル(前年比3.2%増)と、1998年以来17年ぶりに音楽産業がプラス成長を遂げた。そのうちデジタル配信の売り上げは全体の45%、パッケージメディアは39%と、デジタルがパッケージを初めて上回った。「音楽産業がデジタル時代に適応し、より強く、よりスマートに拡大していることを示しています」と同連盟のフランセス・ムーアCEOは分析したという。
これに対し、日本の音楽産業の主軸はまだCDとなっている。日本レコード協会「日本のレコード産業 2016」によると、2015年の日本の音楽ソフトと有料音楽配信の売り上げ合計は3015億円(前年比1%増)。このうち有料音楽配信は471億(前年比8%増)と全体の16%だ。定額制ストリーミング配信サービスは124億円(前年比58%増)と急成長を見せているが、CDは1801億(前年比2%減)と全体の約6割となっている。
柴さんは同著で、世界全体がストリーミングサービスを意識して新作のリリースを毎週金曜に足並みそろえているのに対し、日本ではほとんどがオリコンチャートの集計を考慮して水曜日となっている現状も踏まえ、次のように述べている。
「世界第2位の音楽市場を持つ日本では、レコード会社の一部は、CD中心の市場を何年も維持することを望み続けてきたように見える。内需が強く、変化を厭う。そのことが音楽産業の停滞感や閉塞感に結びついていた」(「ヒットの崩壊」より)。
またくるりの岸田さんは今回の話題のなかで、YouTubeにMVを公開する理由について「宣伝効果的にラジオやテレビと同列で考えてる、てことだと思ってます」とTwitterで触れていた。
CDよりも原音に近い音源を再現できるハイレゾ音源も登場し、2015年には日本の音楽コンサート市場が3405億円と、音楽ソフトと有料音楽配信の売り上げ合計を追い抜いた。高音質な音源やライブチケット、物販の購入を促すための広告手段としてYouTubeを捉えた場合、やはり多少のリスクを負ってでも日本のレーベルはYouTube Redに契約するべきではないかと考えることもできる。
ゲントウキさんはビクターのYouTube公式チャンネルでは海外の一部から視聴されないことを知り、原盤権は自分にあるとしてビクターに交渉。視聴制限のかからないMVを個人の公式YouTubeページに上げることを許可してもらったという。「せっかく作ったPVなので、地球上の全ての人が目が届く場所に置きたいと思いました」と、詳しい経緯を公式ブログにつづっている。
一方で、福井弁護士は、「ただ、契約条項など何の関心もなしに新サービスに走るよりは、『この条件では乗れない』という判断をした日本レーベルは一歩前進だったように個人的には思います」と、一定の評価を示している。
福井弁護士が危険視しているのは、YouTubeやアマゾンのように海外の巨大なプラットフォームと一方的な規約を結ぶことで、最終的に自国の事業の成長が妨げられてしまうという展開だ。
例えばアマゾンは電子書籍契約において、自社へ最も有利な条件を与えるよう出版社に義務付ける「最恵国条項」を強いている。ある出版社が他の電子書店でアマゾンより安い価格で電子書籍を販売した場合、自動的にアマゾンもその価格まで下げて販売できるといった仕組みだ。
福井弁護士はこのアマゾンの問題を解説した記事「平成の不平等条約? 〜ついに公取委が動いたアマゾン『最恵国条項』とは何か〜」(ねとらぼ)で、次のように述べている。
「一方的な規約の問題は、行き過ぎればこの国の事業者の成長を妨げ、情報社会を息苦しい危険な場所にしかねない。その歯止めには、もはや個別の事業者の交渉だけでは到底無理で、ときに業界横断的なサポート体制や今回のような競争法の積極適用、そして何より、個別の事業者がおかしいと思った際に声を挙げる勇気が必要だろう」
今回のYouTube Redと日本のレーベルも似た状況だというのが福井弁護士の見方だ。
「だからと言って、全てのレーベルがダウンロードを嫌うのが当然賢い選択だと言っている訳でもありません。あるいはダウンロードも含めて許容するのが今や賢い選択なのかもしれません。ただ、契約条項など何の関心もなしに皆が一斉に新サービスに走り“がちな”いつもの日本人よりは、ちゃんと条件を検討して交渉しようとした点は一歩前進に思えます。それでも、その後の交渉にちょっと時間がかかり過ぎたかな、とも感じますね」(福井弁護士)。
●YouTubeの視聴問題が示すもの
最後にくるりの岸田さんのツイートをまた引用したい。「俺はMVが海外で観られへん問題はどーでもいいです」「まるでビクターの事を悪者のように書きましたが、僕は所属レコード会社だからということ抜きにしても、元々ビクターが好きでした。日本の音楽への貢献のデカさと、本来の『原音追求』の理念に深く共感しております」と踏まえた上で、次のように述べていた。
「ただ、移りゆく時代。レコード会社、としての役割を終えなければならない時に、どんな風に音楽に貢献していくのか、というビジョンが見えないのも事実です」「大手レコード会社やレコード店も意地を見せてほしいのです」。
韓国でYouTube Redがスタートしたのが2016年12月。じわじわと領土を広げつつある“YouTubeで日本のMVが視聴できない問題”――ここには日本のレーベルが音楽ビジネスにどう取り組むのか、今後のビジョンや姿勢が映されていくだろう。
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